いつまでも純粋ではいられない。
こんばんは、6時間の体育祭練習を乗り切った雨岸です。
今日は小説の題材になりそうなキーワードが浮かんだので書き留めておきたいと思います。
みなさん、純粋でなくなったのはいつですか?
純粋と一口に言っても、性知識がないとか、世の影を知らないとか何かを諦めることだとか。
人によってまちまちでしょう。
私の中での純粋は、弾けるような“好き”という感情だと考えています。
うちの部は女子が9割を占めているので、当然愚痴だの噂話をしています。美術部だなんてのは形だけで、授業で使う画材の下準備をしながら下世話な話をダラダラとする、そんな部です。
学外でも遊ぶ3年の仲なので、今更飾ったりしません。そんな輪で愚痴大会が開かれようもんなら、言わない方がカンジが悪いと言うもの。
けれどそんな度胸は私にないので、相槌を打ったり、爆笑したりしてその場をやり過ごします。
◾️組のアイツ、なんか変わったよね
わかるわー、あんな陰口言う奴だったっけ。
アイツは元からだよ、◾️◾️のこと男好きだって言いふらしてたし。
うっわ最悪。僻みやん。
◾️◾️っていうて男好きじゃなくない?
小学生の頃の知り合いが、異性を通じて歪に成長していく姿は、見ていられないものがありました。もう公園でなくインスタのストーリー越しでしか見られない近況を、こうして情報交換していくのです。
女子の情報ネットワークを意識するたび、私はいつも思い起こさずにはいられないことがあります。
もっと前は、みんなみんな大好きだったのになあ。なんて。
クラスのみんな大好き!!喧嘩することもあるけど、私はあの子のこんな面が好き!ああいうところは良くないとは思うけど、いいところだってある!!尊敬!!
いつから悪い面を見るようになったのでしょう。
同じ平行線に立たされて、一緒に手を繋いで歩いて来たっていうのに、気づけば蹴落としあって見下しあって蔑みあう。
カーストなんて、大人になればなんの意味にもならないものばかり気にして自分より下だと思った子は徹底的に見下す。そうして欲求を満たす。
いつからこんなことに。
1番嫌いだったはずの人種は、いつのまにか誰1人取り残さず飲み込んでしまいました。
私も含めて。
大人になってもこうなのかなあ。
体裁ばかり気にして、見下しあって欲望を剥き出しにする。レッテルをアクセサリーにして自分を飾り立て、承認欲求で彩る。
これが大人になるということなら、私は永遠に子供でいたかった。
きっと10年後には、何を言っているんだと笑うのではないだろうか。
それがきっと、大人になったってことなのではないでしょうか。
やっぱり人生は妥協の連続だなって考えるんです。
今日の体育祭リハで、最下位だった私たちに担任は言いました。「人生の話をしたい。引き際が大事だと言うが、いつまでも諦めないことが大事だ」
まだ私は青い。
先生のお言葉を穿った見方で、見当違いな解釈で処理するあたり、まだ子供だ。
大人になるってなんだろう。